教え方にもコツがある

幼児、児童、生徒の教育をメインに、自らの学びから、成長するために本当に大切なことは何かを考察していきます。

授業が分からないと言われたら

教えようとするから分からなくなる

前回も書いた通り、教えようとする意識が強いと、授業はつまらなくなります。

その弊害は、「授業が分からない」という生徒の声になって現れることもあります。

なぜ、丁寧に教えようとすると、子どもにとって分かりにくくなるのでしょうか。

それは、教えようとすると教師の言葉が増えるからです。

教えるということは、昨今では「説明する」と近いニュアンスで使われることが多いように思います。

少なくとも、現場ではそのように理解している教師が多い現状です。

 

丁寧な教師ほど、言葉を尽くして教えたい内容を説明しようとします。

この丁寧さが、厄介なのです。

教師はあくまで善意から(子どもに理解させたいという思いから)長々と説明しているのです。

そのこと自体が、子どもにとって「分かりにくくなっている」とは、露ほどにも思っていません。

ここからは、教師の言葉の多い授業が、なぜ分かりにくくなるのか、原因を書いていきます。

 

主語と述語の距離感

説明が長い教師の一文は、長いものです。

すると、主語と述語の距離が空き、最終的に「何が」「どうする」のかという意味的な結びつきに齟齬が出てきます。

例えば、「長い形容詞の比較級には、moreを使います」という説明をするとします。

「長い形容詞、あ、形容詞っていうのは名詞を修飾する言葉でsmallとかkindとかのことなんだけど、それを前回勉強した、〜より…だ、ということを表す比較級にする場合には、前回の短い場合はどうだったっけ?そうだね、erを使ったと思うんだけど、今回は新しくmoreを使うってことが今日勉強する新しい内容になります。」

少々極端な例ですが、こういった説明を悪びれることもなく、長々とし続ける教師は結構います。

何度も繰り返しますが、当人は至って真面目に(丁寧に)教えているつもりです。

その結果、「長い形容詞」が主語で「今日勉強する内容だ」が述語になり、本来子どもが理解しなければいけない、「長い形容詞の比較級にはmoreを使う」に辿り着いていないのです。

このまま、上の例を使って、次の問題点を指摘します。

 

接続詞の乱用

一文を短くまとめていくと、必然的に接続詞を適切に使っていく必要が生じます。

この接続詞は、前の文と接続詞の後で語られる文との関係性を明瞭にしてくれる、便利な言葉です。

従って、接続詞を上手に強調しながら話すことで、分かりやすい説明になります。

ところが、上の例を再度持ち出すと、

「長い形容詞、あ、形容詞っていうのは名詞を修飾する言葉でsmallとかkindとかのことなんだけど、それを前回勉強した、〜より…だ、ということを表す比較級にする場合には、前回の短い場合はどうだったっけ?そうだね、erを使ったと思うんだけど、今回は新しくmoreを使うってことが今日勉強する新しい内容になります。」

と逆説を表す「だけど」が、逆説ではなく、単なる「つなぎ言葉」として使われていることに気付きます。

長々とした説明の中では、「だが」「で」「だから」などの接続詞が、本来の意味とは全くかけ離れた、意味のないツナギとして使われます。

その結果、全体的にボヤッとした説明が出来上がってしまうというわけです。

ちなみにこれは、小学一年生が母親に

「今日ね、学校で国語の授業があって、先生に差されたんだけど、上手に読めてね、そのあとで先生も褒めてくれたんだけど、とっても嬉しくてアキちゃんも褒めてくれて、でもアキちゃんはもっと上手に読めるんだよ、すごいよね」

と説明するのと同じレベルだと思っています。語彙が豊富になっただけで、根本は一緒です。

 

授業を分かりやすくするには

基本は、教師が話さないのが良いのですが、それでも説明が必要な場面はあるものです。

その場合において、分かりやすい説明をするための最低条件は、

  1. 「短く」
  2. 「接続詞を正しく使い」
  3. 「一文一事

で説明していくことです。

上で使った分かりにくい説明を思い出して下さい。「長い形容詞、あ、形容詞っていうのは名詞を修飾する言葉でsmallとかkindとかのことなんだけど、それを前回勉強した、〜より…だ、ということを表す比較級にする場合には、前回の短い場合はどうだったっけ?そうだね、erを使ったと思うんだけど、今回は新しくmoreを使うってことが今日勉強する新しい内容になります。」

これを、先程の条件に則って直すとこうなります。

「 形容詞とは名詞を修飾する言葉のことです。例えばsmallやkindなどの言葉のことです。前回は比較級を勉強しました。比較級とは、〜より…だ、を表す表現です。どのようにつくるのですか?そうです、erを使いましたね。しかし、長い形容詞にはmoreを使います。これが今日新しく勉強する内容です。」

※比較級を授業で扱う際に、そもそもこのような演繹的な説明が相応しいかどうかはまた別の話をとしてご容赦下さい。個人的には、二年生までのほとんどの文法は帰納法的な学習が効果的だと考えています。

 

まず、一文は可能な限り短くしていきます。

これは、小学校でまず指導しなければいけない内容だと感じています。

中学校に上がってきた新入生が書く文を読む限り、このことを指導している小学校教員はそんなに多くはないように感じ、残念に思っています。

 

次に、接続詞はツナギとしては使いません。

特に、逆説を表す「しかし」は正しく使うことが重要です。

往々にして、逆説で語られることは大切であることが多いためです。

これを続けると、「しかし」と言うだけで、子どもがメモを取るようになります。 

 

最後に、一文一事です。

これはつまり、一文の中では一つの事しか言わない、ということです。

これは、指示を出す場合の鉄則でもあります。

同じように、説明の中でも、一文の中では二つ以上のことを説明してはいけません。

これは、「短く」を徹底していると、自然にそうなるはずです。

 

授業が分からないと言われたら

まず、授業が分かりにくい理由が「説明」にある場合は、今回のことを意識するだけで、大きく改善されるはずです。

ただし、やはり基本は授業では言葉を削ることが大切ですから、分かりやすく説明しよう!という思いに囚われないようにすることです。

授業が分かりにくい原因は、決して「説明」だけに拠らないはずですから、様々な視点から原因分析をしていく必要があります。

また、このブログで「分かりやすい授業の作り方」についての考察を加えていく予定です。

 

もし、子どもから「授業が分からない!」と言われたら、「ごめんね、私もあなたみたいに一生懸命勉強して、もっと分かりやすい授業ができるようにするね」と真摯に対応しましょう。

教師も勉強している、という姿勢を見せ続けることで、子どもと同じ学習者であることを伝えましょう。

そうやって子どもと同じ立場に立つことで勝ち得る信頼もあります。

何より、子どもに勉強しなさいと語る教師自身が、子ども以上に勉強してなければ、言うことを真剣に聞いてくれるはずがないのですから。

私も、もっともっと勉強しないといけないと感じています。

では、また!