教え方にもコツがある

幼児、児童、生徒の教育をメインに、自らの学びから、成長するために本当に大切なことは何かを考察していきます。

「考える」を考える

人は本当は考えたくない

人は考える葦である。

言わずと知れた、パスカルの有名な言葉です。

ところが、本来人間は考えることが苦手です。

(ここで言う考えるとは、問題を解いたり、論理的に読んだりする、認知活動のことを指す)

我々よりも遥かに優れた計算機が安価で手に入り、我々よりも遥かに秀でた将棋ソフトが廉価で購入できます。

ところが、自動運転システムの開発は発展途上だし、プログラムされた動き以外の動作を、自ら生み出すロボットも目下開発中です。

つまり、現段階において、「考える」能力はすでに人間は機械に劣るが、「見る」「動く」などの能力においては、まだまだ機械より数段秀でているということです。

比較するのは難しいですが、やはり「考える」能力は、「見る」「動く」能力に比べるとエラーが多いように感じます。

人は実は考えることを苦手とし、可能な限り考えることを避けているのです。

では、考えることを避けているとき、私たちの頭の中では、どんなことが起きているのでしょうか。

実は、私たちが「考えている」と考えている行為の大部分が、記憶の想起なのです。

 

考えるメカニズム

例えば、今日家を出て、学校や職場に向かうまでの道のりを、私たちは「考えて」いるでしょうか?

おそらく、今まで通った道のりを「思い出して」通学、通勤しているはずです。

靴紐を結ぶときも、その手順(手続き記憶)を思い出して、ほとんど何も考えずに、もっと言えば思い出していることですら意識せずに紐を結べるはずです。

こういったとき、私たちの頭の中では何が起きているのでしょうか?

大前提として「考える」行為は、記憶の想起と密接に関係しています。

本来は考えたくない私たちですから、記憶の引き出しに入っている事柄であれば、考えずに引き出しから引っ張りだして物事の処理にあたっています。

この引き出しがある場所を、長期記憶とよびます。

この長期記憶は、瞬間的かつ無意識的に作用します。

例えば、「北極にいるクマは何色ですか?」と聞いたら、「白」と答えますね。

「北極にいるクマは白熊であり、色は白である」という記憶は、「北極にいるクマは何色ですか?」と問われるまでは、記憶の引き出しの奥、つまり無意識下に眠っていました。

「北極にいるクマは白である」と意識し始めたのも、問いがあったからです。

この、意識したり情報を結合したり、一時的に保持したりする場所をワーキングメモリ(短期記憶)とよびます。

ここまでの流れを再度説明すると、「北極に住んでいるクマの色は白である」という長期記憶の中に眠っていた知識を、「北極に住んでいるクマは何色ですか?」という問いによって、ワーキングメモリ上に引っ張り出してもらいました。

 

「考える」という行為は、このワーキングメモリという俎板の上に、長期記憶という冷蔵庫から必要な情報を取り出したりしまったりしながら、情報を結合したり補完したり変化させたりする過程のことです。

例えば、18×7を頭の中で計算するとき、ワーキングメモリと長期記憶の間では、以下のような作用が起きています(以下、ワーキングメモリをワ、長期記憶を長で記す)。

 

  1. 長:8×7=56という情報を長期記憶から取り出す
  2. ワ:6を解の一部として覚えておき、5を保持
  3. 長:1×7=7という情報を長期記憶から取り出す
  4. ワ:保持していた5と7を足す
  5. 長:5+7=12という情報を長期記憶から取り出す
  6. ワ:12に6を付加する

 

以上の手順を追って、126という答えを導き出すわけです。

ここで強調したいことは、「考える」手順の中で、長期記憶から情報を取り出す手順がいかに多いかということです。

そしてこの事実は、よりよく考えるためには知識の獲得が必要不可欠であることを示し、知識獲得偏重の授業に対しての強い非難に対し、反論の余地があることを示します。

「インターネットが普及した現代社会において、知識は検索すればよい。よりよく考えるスキルを身につけさせることに重きを置こう!」

という機運が高まり、最近では考えるスキルを教える動きが増えています(KJ法やマトリクス表など)。

もちろん、それはそれで大切なことではありますが、それ単体では考えることの本質を捉えた教育には遠いと言えそうです。

インターネット検索で得られた情報は、全てワーキングメモリ上で処理されていることも覚えておかなければいけません。

人のワーキングメモリの総量には限りがありますから(それこそ俎板くらいの狭さなのだろう)、インターネット検索で得られた情報をそこに乗せてしまえば、同時に考えることのできる総量や質は低下してしまうのです。

ワーキングメモリを効率よく使用するには、長期記憶からの情報の出し入れが必要となってくるのです。

そしてそのスムーズな連携こそ、「よりよく考える」ことのメカニズムなのです。

 

「考えなさい」の負荷を知る

以上のメカニズムを理解していると、教室で子どもに対して強いたり課したりする学習活動の捉え方が変わるはずです。

 

再度まとめます。

  1. 「考える」ことは人にとって苦手なことである。
  2. 「考える」ことはワーキングメモリと長期記憶のスムーズな連携によって、効率的になされる。
  3. 「考える」ことはワーキングメモリの総量を効率よく使うことで質の高さを増していく。

 

これだけの高度な活動を支える人間の脳は、宇宙のように不思議ですね。

 

「考える」ことはそれだけで高度な活動なのです。

目の前で一生懸命考えている子どもたちを見るだけで、感動してしまうほどに不思議な活動なのです。

 

学習活動を苦手とするスローラーナーたちに対して、ワーキングメモリ上でエラーが起きているのか、長期記憶の引き出す時点でのエラーなのか、はたまた長期記憶の欠如なのか、より細かな分析ができれば、より効果の高い支援が考えられそうですね。

 

今回は「考える」について考えてみました。

今回の内容は、『教師の勝算』という本に基づき書かれていますので、興味があればご一読あれ!

では、また!