教え方にもコツがある

幼児、児童、生徒の教育をメインに、自らの学びから、成長するために本当に大切なことは何かを考察していきます。

子どもを伸ばす一番の方法

キーワードは内的動機づけ

『奇跡の指導法』という本を読みました。

とある高校の吹奏楽部の指導をされている方の著書でしたが、子どもの力を伸ばすためには「褒める」ことだと書かれていました。

このこと自体は決して真新しい主張ではありません。

しかし、昨今「個人主義」が跋扈する日本の社会において、「正しく」子どもを褒めることは教師だけでなく、子育てに関わる全ての大人にとって重要な技術だと感じています。

「正しく」とはどういうことか。

それは、なぜ「褒める」のか、という本質的な問題と大きく関わっています。

なぜ「褒める」のか、という本質に切り込んでいくと、

  1. 何を褒めるのか
  2. どう褒めるのか
  3. いつ褒めるのか

ということを改めて考える必要がありそうです。

 

何を褒めるのか

なぜ褒めるのか。

答えは簡単です。好ましい行動を強化するためです。

極端な例えで言えば、好ましい行動に対して、パブロフの犬状態にするためです。

また、褒めることは、その手段や内容によって、子どもの自尊心、自己肯定感、帰属感を高めます。

 

ところで、アンダーマイニング効果という行動経済学の用語があります。

これは、もともと好きだったことに対して、その活動によって引き起こされる結果に対し、報酬が与えられると、本来好きだったことに対する情熱が減退するという効果です。

これは、外的動機づけの危うさを示しています。

外的動機づけというのは、子どもの意欲を高めるために、報酬やご褒美などの外的な要因を活用することです。

例えば、「テストの点数が80点以上だったら、お小遣いをあげるよ」「順位が10位以内だったら、携帯を買ってあげるよ」と交換条件を提示して子どもの学習意欲を喚起しようとする方法は、外的動機づけに当たります。

本来、頑張ったことに対して結果が付随することは、それだけで達成感や成就感を味わえることなのです。

報酬やご褒美は、こういった本来の達成感や成就感を薄め、「ご褒美が手に入った」という人工的(二次的)な因果関係を子どもに誤学習させてしまう危険性があります。

有り体に言うと、「頑張るとご褒美がもらえる」と子どもに教えていることになります。

すると子どもはどうなるか。

「ご褒美がもらえるから、頑張る」ようになります。逆を言えば、「ご褒美がもらえなかったら、頑張らない」ようになってしまう可能性が高まります。

 

結果に対して報酬やご褒美を与えることは、結果を褒めていることです。

 

褒めるべきは、その努力の過程や経過です。

「今回はいつもより早くテストの準備にとりかかっていたね」

「夜遅くまで、本当によく頑張っていたよね」

「勉強方法をよく工夫していることが伝わったよ」

強化したい行動は褒める。

これが人間の脳にとって一番効率的なのです。

結果を出せたことが尊いのではなく、結果を出すために積み重ねた努力が尊いのだ。

義務教育を担う教師だからこそ褒めてあげられる観点ですよね。

社会に出ると、成果至上主義が待ち受けていますから。

何を褒めるのか?

子どものうちは、とにかく過程を褒めてあげましょう。

 

どう褒めるのか

子どもの発達段階に応じて、褒め方も変えていくべきです。

まず、幼児期の子どもはスキンシップを中心に、大げさに褒めます。

(抱きしめながら)「お手伝いしてくれて本当にありがとう。気が利くね!」

(頭を撫でながら)「お友達にオモチャを貸してあげられたね!優しいなあ!」

子どもが小学生に上がった頃から、少しずつ語彙を豊かに、笑顔で端的に褒めます。

「一人で起きられるなんて、驚いたなあ!」

「もう宿題が終わってるなんて、さすが!」

「お風呂洗ってくれたの?嬉しいなあ!」

中学生になったら、場面にもよりますが短く褒めることがいいでしょう。

「感心しちゃうなあ」

「私には真似できない」

「ステキな姿を見たなあ」

この変遷の中の、歳が上がるにつれて強まる「メッセージ」にお気付きですか?

それは、iMessageです。

「私がどう思うか(感じるか)」を伝える割合を増やしていくといいでしょう。

もちろん、幼児期の頃から、iMessageを伝えていくことは決して悪いことではありません。

これは、社会脳が発達する段階に合わせて、自分のための努力より、他人のために努力することの方が、道徳的価値としては深いことを伝えていくためです。

自分の行動により、他の人(この場合、褒める人)にも利益がもたらされていることを伝えてあげることで、利他の行動を強化していくことにも繋がります。

 

いつ褒めるのか

これは、少ない方が希少価値が高い、という市場の原理とは真逆で、多ければ多いほどいいのです。

褒めるべきポイントを見つけたら、即褒める。

何回褒めてもいいのです。

何回も褒めることがいいのです。

疎まれるくらい褒めましょう。

しかし、褒めるポイントやピントがズレていてはダメです。

何でもかんでも「褒める」ことは違います。

それは、「褒める」ではなく、「阿る(おもねる)」ことであり、正しくない行動に対しては、適切な指導をきっちり行うことが大切です。

「褒める」とは、「認める」ことですから、道徳的、社会的に認められない行動を褒めるのは、仮にリフレーミング出来たとしても、好ましくない行動を増やすトリガーになりかねないので、避けましょう。

私は、自分の教室では毎日一人一回は褒めるように心がけています。

「給食を配膳するのが早い!あなたのおかげで皆の食べる時間が確保されているんだね。」

「また手紙配るの手伝ってくれるの?気配りのプロだなあ。」

「雑巾がけをあなたのように隅々まで出来る人はなかなかいない。」

ここでは割愛しますが、中学生三年生ぐらいになると、担任との信頼関係の強さにもよりますが、その褒める言葉の中にユーモアを含め、照れ笑いではない「笑い」を喚起することもできます。

これも、一つのテクニック。

 

褒められることは、愛情を注がれることです。

たくさんの愛情を注がれた子どもは、幼く見えることが多いと言います。

なぜか。

素直だからです。

教師は特に、子どもを成長させるプロですから、この褒める方法や語彙に関してはプロ意識を持たなければいけないと考えています。

しかし、残念なことにこんな声をよく聞きます。

「〇〇は、褒めるところがないんですよね。」

一つ目。あなたの見る目がない。

二つ目。なければ作れ。

 

褒めるプロなんだ

褒めるところはいくつでもあります。

例えば、授業中に「自分の考えをノートに書きましょう」と指示を出したあとで、何もしていない生徒がいたとします。

あなたなら、どう褒めますか?

これは、発達障害を抱えている子どもには特に大切な支援です。

発達障害については、また後日書きます。

さて、考えられる褒め言葉はこうです。

「お、考えてる、考えてる」

「真剣な表情がいいね」

(先述した通り、好ましくない行動が別に付随していたら、それは適切な声掛けでもって、修正を促しましょう。今回は、あくまで、「(迷惑な行為も含めて)何もしていなかった」場合です)。

 

中学生であれば、短く「よし!」「正解!」だけでも効果があります。

また、ハンドジェスチャーや表情だけでも褒めることは可能です。

 

また、褒めるところがないと嘆く前に、活躍の場を作れていない己の非力さを嘆くべきです。

お手伝いをお願いするだけだって、褒めるポイントはいくつも生まれます。

「頼まれたことを快く引き受けてくれるあなたは、本当に気持ちが良いね!」

「そのフットワークの軽さは、すでに私の相棒だね。」

「その手際の良さはもはやプロ級だ。」

活躍の場を設定し、成功までのプロセスを支援する。

教師の基本です。

そのことを怠っておきながら、褒めるところがない、なんて愚かです。

この豊富さにおいて、別業種に劣っては教師の名が廃ります。

かく言う私も、まだまだ発展途上。

子どもの心に残るような褒め言葉や、それを見極める目を、今も現場で磨き続けています。

 

今日はここまで!