教え方にもコツがある

幼児、児童、生徒の教育をメインに、自らの学びから、成長するために本当に大切なことは何かを考察していきます。

塾と学校

時代は変遷している

お盆を前に、我が校では三年生を対象に三者面談を実施しています。

希望者ではなく全員を対象に、1人20分程度。

内容は、学年共通で、

「部活が終わって、夏休みの生活はどうですか?」

「高校の説明会は、どこに参加する予定ですか?」

「11月の三者面談では、こんな流れで受験校を決定していきます」

「卒業アルバムの写真を選んで下さい」

の四点。

保護者からの質問では、

「うちの子どもが希望している〇〇高校は、どれくらいの点数で受かるのですか?」

という点をよく聞かれるのですが、なぜがその質問に対しては11月の三者面談まで言及しないと学校で決められています(理由は不明です)。

 

この三者面談、いりますか?

 

保護者の最も関心の高い質問に答えられず、

一学期の学年懇談会で提示した情報と同じ資料で11月までの流れを確認するだけの、形骸化した三者面談(だと私は感じています)。

そのために予定を調整する、働いている保護者の方々のご苦労を思うと、本当に申し訳なく感じてしまいます。

管理職には、「希望者だけで良いのではないか」と提案したのですが、「毎年やっているから」という理由で今年度も実施することになりました。

夫婦共働きが増え、平日の昼間に学校に来ることのハードルは、昔に比べて格段に高まっています。

その対価として相応しくない現状の三者面談を強いる発想は、「古い」ように感じます。

 

時代は変遷しています。

過去の遺物は、学校現場にはたくさんあります。

時代にアジャストしていない行事やシステムを、「毎年実施してきたから」という思考停止の状態で引き継いでいくのは、如何かと思います。

しかし、そのことを感じながら現状を変えられていない私も私なので、その責任を管理職に転嫁するつもりは全くありません。

 

三者面談の中で、「塾」の話題がよく出ます。

「塾」の占めるウェイトも、年々重くなってきているところではあると思いますが、塾に対して敵対心を抱いている教員は少なくありません。

今回は、「塾」に対する私の思うところを書いてみようと思います。

 

それぞれの役割は?

受験の夏、塾に通う子どもの学習時間は、塾に通っていない子どものそれを遥かに上回ります。

学校の課題に加えて、塾からも宿題を課されている子どもの様子は、まさに受験生然とした「勉強漬け」の毎日を送り、げっそりしています笑。

塾の売りは、「学習環境」であると感じます。

塾に入った子どもの学習時間が、強制的であれ増加することは、保護者からすれば安心材料の一つになるのかもしれません。

本来であれば、塾に頼らずとも自発的に勉強する子どもを育めれば理想なのですが、子ども、教師、保護者が三位一体で努力しなければ、実現する蓋然性は低い理想でもあります。

また、受験に関するデータベースも、塾の方が上だと思います。

(受験校の内情に関しては、学校の方が熟知しているかもしれない)。

圧倒的な問題数に取り組ませ、経験知を積ませていくやり方は、力技のようにも感じますが、一定の効果も認められると考えます。

学力の向上において、問題数をこなすことも大切な要因ですから、学校としてもその恩恵を受けている部分があると思います。

塾の関係者の方からは批判を受けてしまうかもしれませんが、以上の点から、塾の役割は、子どもの学習能力のうちの「経験則」を、演繹的、帰納法的なアプローチでもって育んでいく点にあるように感じます。

 

では、学校は?

認知能力で言えば、論理的思考力や批評力、表現力などを中心に高めることが出来る機会が多くあるように感じます。

また、非認知能力を大きく伸ばすことが出来るところも、学校ならではの特徴でしょう。

 

どちらも子どもの成長には、欠かせない大切な要素であり、どちらも子どもの成長に大きく貢献している。

ただ、子どもの話を聞く限りでは、塾の講師の中には学校の教員やシステムそのものを批判している人もいるそうですし、学校の教員も然り。

共にかけがえのない、やり甲斐のある責務を背負いながらも、決して手を取り合うことのない二者。

不思議だなあと思います。

 

いいとこ取りをしよう

私は力のない、しがない一教員ですから、塾と学校の歪な関係性に大きな亀裂をもたらすことは出来ません(せいぜいこのブログにて、不思議だなあと呟くことが関の山)。

しかし、保護者や子どもに対してメッセージを発することは出来ます。

それは、「いいとこ取りをせよ」ということです。

塾には塾のいいところがあります。

学校には学校のいいところがあります。

どちらにも、力のある、信頼に足る大人はいるものです。

アプローチは違えど、どちらの機関の大人も、目の前の子どもの成長を願い、自らの生き様を通して、大切なことを伝え続け、心と腕を磨き続けています。

そういう大人は、他方の批判をすることはありません。

子どもの成長こそ優先すべき事項ですから、その成長に寄与するであろう要因を批判するべくもありません。

塾の先生から教わるも良し。

学校の先生から教わるも良し。

人生我以外皆是師也。

学校の教員として、塾のシステムや教え方が学校の目的にとって有益であれば、それは率先して取り入れるべきでしょう。

しかし、残念なことに、双方がコミュニケーションをとることといえば、「塾のパンフレットの配布の許可」程度でしょう。

個人情報の観点からも、学校が塾に対して子どもの情報を開示することは難しいかもしれませんが、進度や教え方などで共通理解を図ることは可能ではないでしょうか?(企業秘密な部分も多くあるのかな?)

個人的には、開塾者の著書や、有名講師のメソッドに学ぶところは多いように感じます。

森絵都さんの『みかづき』には、考えさせられる部分が多くありましたが、

様々な問題を抱える教育現場で、学校と塾が手を取り合い、未来を担う子どもの成長に邁進していく日々が来ることを、現場から願っています。

 

うまくまとまりませんが今日はここまで!