教師として子どもを惹きつけるためには
周りとは一味違う教師になる
「教師は忙しい」
ありがたいことに、世間の注目が教師の仕事量に対して同情的になっています。
しかしながら、現場レベルで言うと、その世論に胡座をかくような、不勉強な教師が多いのも事実です。
子どもの前に、一人の尊敬できる大人として立ち続けるために、私たちがしなければいけないことは何でしょうか。
それはずばり、勉強です。
子どもに「勉強しなさい」という立場でありながら、また、教育基本法でその修養が明確に定められていながら、教育書の一冊も読まない教師の、なんと多いことか。
残念なことですが、そういった教師がたくさん存在する現状では、せっかくの世論の教師の仕事に対する理解の深まりに甘えるわけにはいかないと強く感じます。
そんな「その他大勢」の教師に埋没することなく、
「私は、皆さんの3倍勉強しています」
と胸を張って、子どもたちに伝えられる教師が、子どもの信頼を勝ち得るのです。
信頼関係はどこで築くか
子どもとの信頼関係を築く場は、どこでしょうか。
部活動、学級経営、教育相談、生徒指導、学校行事など。
挙げればキリがありませんが、私は授業だと思っています。
とある教室に「授業が勝負、授業で勝負」という言葉が高々と掲げられているのを目にしたことがあります。
担任の教師は子どもに対して、授業を大切にしていこう!というメッセージを発したかったのでしょう。
しかし、この言葉を胸に刻むべきは、明らかに教師自身です。
事務処理を始め、部活動指導、保護者対応など。その業務が多岐に渡るなかで、少しずつ薄れがちなのが、我々が授業のプロであるという矜持です。
例えば、塾に通う子どもが増えている中で、「塾の先生の授業の方が分かりやすい」と言われたら、教師としては強い自己否定と共に、具体的努力を誓わなければいけません(普通はそんなこと言われなくてもしますが)。
教師の本業は、授業です。
圧倒的な統率力をもって、子どもの脳を動かし続け、ユーモアを交えながら、褒める場面を意図的に設定し、端的に褒めて認める。
そうやって、子どもが成長を自覚出来るような工夫を盛り込みながら、達成感と成就感を味わわせる。
その繰り返しによって、子どもは教師を信頼するようになります。
逆もまた然り。
忘れてはいけないスタンス
このブログの中では、授業づくりについて今後も様々なアプローチと分析、考察を試みていくつもりですが、今日は、教師として子どもを惹きつけるための最低条件をお伝えします(十分条件ではない)。
「親しみやすい」と子どもから慕われる教師はたくさんいますが、その上の次元の「信頼できる」教師になるためには、常に学習者として同じ立場に身を置くことが必要です。
上でも述べた通り、その心構えは
「私は皆さんと同じ学習者だよ。私も学び続けます。」
「人生我以外皆是師。皆さんからも学び続けます。教え、教えられの関係を築きましょう。」
「学習者として皆さんのお手本となれるように、私は皆さんの3倍は勉強するよ。この夏は、教育書を50冊読むからね。」
といったような言葉で語られるでしょう。
教える立場であると驕ることなく、一学習者として子どもよりも謙虚な姿勢を示し続けることで、必然的に子どもとの心の距離は、リスペクトという土台の上で縮まるのです。
よく、若手の教師が「子どもと友達になっちゃダメだよ」とベテラン教師から言われますが、それは双方の関係性の土台に、教師としてのリスペクトが欠けているからです。
親しみやすさだけで子どもと心の距離を縮めようとすると、どこか阿る(おもねる)部分が出てきてしまい、結果として「友達」と同じ立場までその身を落とすことになるのです。
「あの先生には敵わない。」
そんな存在感でもって、誰よりも子どもと近い立場で学び続け、切磋琢磨することで、子どもは理想的な距離感での「親近感」を抱くものです。
そんな教師でも、失敗したり上手くいかなかったりすることです。
そんなときは、「ごめんね、勉強不足だったね、必ず成長します。」と素直に謝ってしまうことです。
これが出来ない教師が本当に多いものです。
失敗した事実以上に、その後の対応一つで、その教師の器の大きさは計られるものです。
貪欲に、謙虚に、カリスマ性を発揮できるだけの力量を。
言うは易し、ですが。
子どもから学び続ける
子どもは、大人より素直です。
多感で、エネルギッシュで、柔軟で創造的です。
そんな子どもに学ぶことは本当に多い。
ちなみに、私が一学期を終え、夏休みに入る前に最後に書いた学級通信には
「1+1が2ではないことを教えて頂き、ありがとうございました。」と書きました。
一方で同調圧力という危険性を孕みながらも、思春期の子どもたちが見せる青春の輝きは、大人にとっては一際眩しいものです。
そんな貴重な一ページを共有させて頂いている。
私たちは私たちで、そんな煌めきに惹きつけられているのかもしれません。